天鳳とはオンライン対戦麻雀ゲームの名前です。
七段になると一番レベルの高い卓で打てるんですね。
私が麻雀をやったのはこの天鳳が最初で2011年12月23日です。
その頃の私は慢性疲労症候群という病気で実家療養中でした。
未だに完治はしてませんが、この頃は「体を起こせるけど普通の仕事は不可能、外出は病院だけ」
といった状態だったので、クリックするだけで遊べるネット麻雀は良い暇つぶしでした。
最初は本当にただ触って遊んでいるだけでしたが
仲間内で流行りだし、そうなると段位を競うようになるわけです。
ネットで戦術サイトを色々と巡った結果
「麻雀は4人いるんだから4回に1回位しか和了れない」
「4回に3回は和了れないんだから失点しないことが大切」
という結論に辿り着いた当時の私は”スジ”と”現物”だけを頼りに必死でオリていました。
満貫両面聴牌でも先制リーチには常にベタオリするレベルでオリてました。
2012年8月
最初に作ったアカウントがそれでも三段になりました。
しかし当然ですが一瞬にして降段しました。
これがその時のアカウントの成績です。
スジと現物しか知らない人間にしては低い放銃率でしょうが
和了を全然意識してないことがこの成績から伝わってくるかと思います。
三段になるのにとても苦労したと思っていた私は非常に悔しくて
ここにきて初めて真剣に強くなりたいと思いました。
降段と時期を同じくして現在の師匠と出会い、教えを請い弟子入りしました。
当時師匠は天鳳八段。麻雀を覚えて1年で鳳凰卓に到達し、そのまますぐ八段になり
当時は鳳凰卓を打てるアカウントを3つくらい持っていたと記憶しています。
師匠には一度も会ったことは無いんですが、多分イケメンだと思います!
師匠と出会い、まず最初に言われたのは
「このアカウントで打ち続けても四段になった時にR(レート)が足りなくて特上では打てない」
「新しいアカウントを作っても実力がなければ同じだから勉強しながら四段を目指そう」
この二点です。
私のために師匠の時間を割いてもらうわけですから私も本気を出さねばと
すぐに新しいアカウントを作り、課金しました。
有料版では色々細かくデータを取ってくれますし、
なによりお金を使うからには本気にならざるを得ません。
師匠の教えと課金パワー()のお陰で意外と容易く四段にはなれました。
最初から上卓で打てたので2着率が高く1着率の低い私にはpt効率が良かったです。
最初の成績と比べると大分改善されました。
2012年冬です。
この頃師匠から言われていたことは
「五段にはすぐなれるだろう、でもまだ六段は無理だろうから
特上卓で安定して打てる実力をつけよう」
そういうわけで私も調子に乗って五段を目指していました。
が
天鳳には段位の他にR(レート)というものがありまして
順位に応じて1戦毎に数字が変動していきますが、これが1800未満になると
特上卓では打てなくなってしまいます。
(天鳳界隈では一つ下の卓に落ちることを「チャオする」と表現したりします。)
Rという物は最初の頃はもの凄く変動します。トップとラスで±30くらい変動します。
それが対戦数が増えるに従って数値変動が穏やかになっていき、
最終的にはトップで+6、2着で+2くらいしか動かなくなります。
グラフにも表れていると思いますがそのレート変動が落ち着くのが大体300戦あたりです。
ちょうどその対戦数300が近くなった頃にラスが続いて
レートが固まったあたりで1800を割ってしまいました。
大レートチャオ時代の始まりです。
師匠に五段には楽になれると言われていたのでかなりショックでした。
しかもレートをあげるためには3着すらダメなのです。
ラスさえ回避すればいい天鳳でトップを狙わないといけないんです。
毎晩泣きながら上南を打っていました。
師匠はそんな私によく付き合ってくれ、スカイプで牌譜を見てくれたり、
六段のアカウントで上南に付き合ってくれたりしました。
病人ですからあまり打ちすぎると熱が出て来るんですがそれでも毎晩打ちました。
そんな気合も虚しく四段5ptまで落ちました。
師匠にはもうpt効率も悪いしワザ降段してもいいと言われましたが
見た目の段位が四から三に落ちるのがどうしても嫌で
降段戦を20戦以上耐え抜き、なんとか降段せず持ちこたえました。
この残り5ptで迎えた降段戦はオーラスをラス目で迎えて
跳満ツモ条件だったのをメンタンピン三色ツモで奇跡的に回避したのを覚えています。
そしてなんとか原点まで復帰することに成功しました。
この頃はもう「上南はおれの庭」みたいな気分でした。
R1800への帰還が成功するまでに上南を200戦近く打ちました。
新しいアカウントを作った方が早かったでしょうが
課金したアカウントを放棄するのが悔しかったんです。
ここからは上卓と特上を行ったり来たりし始めました。
なにせギリギリのRな上に”オリてただけで四段になった勢”だったので
攻めるということを学ぶのに非常に苦労しました。
守備を全て放棄してゼンツしてみても和了率23%が限界でした。
それでも師匠の教えのお陰で少しずつRは上がっていき、特上卓に定着しはじめました。
2013年春
初めての五段に到達しました。
四段が長かったので非常に感慨深かったです。
五段から六段までは2ヶ月くらいで比較的すぐ到達しました。
師匠からは
「とにかく凡ミスが多過ぎるからそれを直せないと七段はキツいだろう」
そう言われていました。
師匠の言った通り最初の六段は100戦くらいで降段してしまいました。
降段しても特上で打てるのに変わりはないので動揺はなかったです。
鬼打ちして六段に戻し、二度目の六段になったのが2013年夏。
今度こそ七段になりたい。
師匠には
「七段になるための知識はもう十分足りている。」
「なのに時々とんでもないミスをするからそれさえ無くせばすぐ昇段できるはず」
他の誰も信じてくれなくても師匠が私に七段になれる力があると信じてくれている。
それだけでとてもやる気に満ちあふれました。
2013年11月には病状も回復してきたこともあり二度目の上京。
寝たきりになって以来何年も経っていましたが、社会復帰を果たしました。
学生時代のように一人暮らしを始めたはいいのですが
天鳳に使える時間が減ってしまい、月100戦以上打てていたのが月30打てればいいレベルに。
そんな中二度目の降段。
あまり打てない焦りからか今度は四段まで落ちてしまいました。
四段R1820くらいまで落ちました。
再びRチャオの危機にさらされました。
さすがにメンタルにきてアカウントを作り直そうかと思いました。
でも師匠と一緒に上南を泣きながら打った思い出のアカウントなので
どうしてもこのアカウントで七段になりたかった。
2回目の4段も長かった気がします。
実生活が忙しく何ヶ月も四段やってたような気がします。
心が折れそうになる度に最初のRチャオのことを思い出して耐えました。
そして三度目の六段。
先程のレート変動グラフを見て分かる通り
私は一度もR2000を超えたことが無かったんですね。
勝てばR2000を超えるという一戦は五段から六段になる昇段戦より緊張しました。
トップを意識し過ぎて何度も失敗してやっとR2000を超えられました。
カクヘン
すごく…カクヘンでした。
R2000の山を越えた日から確変が訪れました。
そのままの勢いで昇段戦に辿り着いた時、それだけで今までの苦しみが蘇って涙が出ました。
トップ条件の昇段戦なんて一度で成功するはずがない、とにかくラス回避だけ意識して打とう。
そう思いました。
どうしてこうなった/(^o^)\
オーラスをラス目で迎えてしまいました。
しかし誰も30000点を超えていないので何でもいいから和了りさえすれば
西入して親をもってこれます。
リーチ一発ツモ赤裏1で満貫です!( ゚д゚ )
全員30000点以下で無事西入しました。
そしてもってきた親番はあっさり流され西2局
とにかく対面への直撃だけは避けねばなりません。
二着のままでいいし三着まで落ちたって構わないつもりでした。
何故か都合よく聴牌しました。
これをダマにして北を出和了っても2600点ではオーラス続行です。
スーパーヒヨリガターの私ですがここはさすがに昇段をかけてリーチしました。
結果幸運にも下家の対子落としを捉えられトップ終了しました。
しばらくこのENDのボタンが押せなかったです。
昇段画面になった時に今までの色んな思い出で胸がいっぱいになって
15分くらいメソメソと泣いてました。
嬉し涙では無く、師匠と歩んで来た3年間の、
2000戦分の怨念めいた膿が体中から吹き出した感じでしたw
こんな不出来な私が鳳凰卓へ行けたのはひとえに師匠の教えがあったお陰です。
師匠がいなければこんなに麻雀漬けになっていなかったと思います。
それに加えて師匠を通じて知り合った天鳳の友人達にもとても感謝しています。
みんな私の的外れな質問にも親切にこたえてくれて嬉しかったです。
これからも色んな地獄を引くと思うけれど、師匠と並び立つその日まで一生懸命頑張ります。
師匠は同卓規制の犠牲になったのだ…
追記
その後確変のまま八段まで登れました。