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”なぜ「嫁」と呼ばれたくないのか”に対する回答のようなもの

私が生まれたのは新潟の山奥の村。
比喩ではなく、行政単位が正真正銘”村”

隣の家は文化遺産になりそうな立派な藁葺き屋根が私が高校生になるくらいまで残っていた。
母の実家も同じ村にあって木造平屋で大きな囲炉裏があり、蚕を飼っていて、祖母はよく蚕の繭から糸車で絹を紡いでいた。

私の家も私が生まれる直前まで牛に農具を引かせていたし、隣近所は大体鶏を飼っていた。
トイレは汲み取り式で、学校の和式トイレのことを汲み取り式と区別して「水洗便所」と呼ぶくらい、周囲にも汲み取り式の家しかなかった。

バスは日に2〜4本。駅からの最終のバスは18時。
水道から出てくるのは自宅の地下から掘った井戸水。
薪をくべて風呂を沸かす。

母が父と結婚式を挙げたのは集落の公民館。当然木造だし古くてボロボロ。
長生きの老人が多い土地で家長の言うことは絶対だから昭和どころか明治のままの価値観。

テレビで男女平等時代の到来が叫ばれてようが、目に入る現実にそんな家庭は一つもないからフィクションと一緒で誰もそんなことが実際に起きている現実感を持ってない。

そう、私にとって「嫁」とは家庭の中の最下層ヒエラルキー、奴隷の別称。

物心ついたときから「嫁」である祖母や母のことをずっと見てきた。
「嫁」は家庭のことに一切口出ししてはいけない。
新しく家を建てた時も母、祖母共に一切意見や希望は言わなかった。

「嫁」は家族に奉仕しないといけない。
父や祖父は食事の時は食べ物を口に運ぶ以外は一切動かなかった。
ご飯よそうのも、醤油をとるのも何から何まで母や祖母がやってあげる。

「嫁」の風呂は最後。男と子供達が入ったあとの汚くて冷めた湯に入る。
ちなみに祖母も農業やっていたし、母だって会社に勤めていた。
どっちも専業主婦ではない。

作ったご飯にケチをつけられても文句も言わない。
それがこの世界の当然だから。
むしろ祖母は父が台所に立つのを怒ってた。
祖母の世界ではそういう常識だった。

祖母は産んだ子供を取り上げられて、触らせてもらえなかったから赤ちゃんの扱い方を知らなかった。
どんなにいびられて離婚したくても出戻りなんて恥だから帰る場所もない。
それでも自分をいびってた曽祖母の介護を全部1人でやっていた。
介護は「嫁」の仕事だから。

さすがに今はそういう価値観のお年寄りたちがどんどん減って世代交代してきたけど、私の子供の頃はまだ、明治生まれの曽祖母も生きていて「世界」の価値観は明治時代のままだった。
私は物心ついた時から、テレビ等で外部の情報に触れるよりも前から、ずっとずっと「この世界」が嫌いだった。

どうして母や祖母だけ一生懸命仕事してるのに父や祖父は偉そうにしてるだけなのかと聞くたびに
「嫁」はそういうものだと祖母も母も言っていた。
未就学児の頃からずっとそう聞かされて育ってきた。

 

夫はそんな風に思ってないよと言うけれど
私の中では幼少期から嫁=奴隷だと離れられないくらいに結びついてしまってるから
言われるたびにモヤモヤしてしまう。

例えば日本語がわからない外国の人に「あなたはとても醜いですね」と言われたら
その人が日本語を知らないと知っていても、ちょっと嫌な気持ちになる。
それがその人の母語では褒め言葉だとしても、ちょっと嫌。

他の夫婦が自分の妻のことを嫁と言っているのを見ても何も思わないけれど、自分が言われるのはとても嫌な気持ちになる。
そういう育ちだから仕方ない。生まれる場所は選べない。
育ちによって形成された物は後から修正可能な物と不可能な物がある。

言葉への嫌悪感はもしかしたら修正可能かもしれないけど、一番簡単な解決策は呼ばないでもらうことだよね。
夫には頑張って欲しい(丸投げ)

ちなみに我々夫婦の気が合わないのはいつものことや🙄